はじまり通信②
カウンセラー 田邉美幸の歩み
幼少期より、両親の過保護、過干渉により生きづらさを感じながら
成長。いつもびくびく不安で緊張し、人の顔色を伺う、引っ込み思案で泣き虫な性格の子ども。
いじめ、嫌がらせ、孤立を経験。自分を温かく受け入れてくれる人の存在を感じとることができないため、人を信用することができない、安心して自分を表現できない。なんで自分はこうなのか?なんでみんなと同じようにできないのか、私も他の人のように
なりたい。普通の人になりたい。それが自分の望みだった。
存在感がなくおとなしい、でも自分の思うようにならないと怒りの感情をすぐぶつけてしまうような
子ども〜学生時代を過ごした。
短大卒業後は保育士の道へ。クラス担任や産休代理として働いた。
ハラスメント(モラハラ、セクハラ)を受けたり
仕事に困難さを感じたり、人間関係を上手に構築できない。やってみたかった仕事なのにうまくいかないことが多く悩み苦しむ。
そんな中、当時お付き合いをしていた男性と結婚。同時に退職。
結婚生活は、自分の未熟さゆえ、考え方・価値観の違いを受け入れ、歩み寄ることができずケンカが多かった。
話し合いの末、協議離婚。
シングルマザーとして生きていくのに、自分のスキルを上げ、もっと収入を増やしたいと考え、離婚と同時に看護学校へ進学。
看護学生時代は、仕事と勉強と子育てとの両立、人間関係に悩み、うつ症状やパニック発作に苦しむ。
かなり追い詰められ、「消えてなくなりたい。このまま、あの車に飛び込んだら…」と希死念慮にかられることも度々あった。
でも、自分がいなくなったら可愛いこどもたちが路頭に迷う。「母さん大好きよ」と言って笑顔を向けてくれる子どもたちを
置き去りにすることはできない。こんな母親でも、あの子達を守ってやれるのは自分しかいない。だから生きよう。
葛藤する中、その「自分なりの母親としての思い・使命感」だけが当時の自分を支えた。
「このままだと自分が壊れていく。」と勇気を出して
心療内科を受診、通院内服しながら学校に通う。その後卒業、准看護師の資格を取得。
シングルマザーとして子どもたちを抱えながら医療機関で働くが
一つの職場に長期間定着できず、自分の天職なるもの、自分にとって働きやすい職場を追い求めて転職を繰り返す。
「自分は保育士にも准看護師にも向いてない」
仕事に困難さを感じたり、人間関係を上手に構築できない。
「どうして自分は頑張って資格をとったのに、その資格を活かして働けないんだろう」「やりがいが持てないんだろう」と、
できない自分を責め、仕事を探すこと、働くことに疲弊してしまう。
そんな中、「ちょっと違う仕事でもしてみようかな。」と、ふと思い立ち、スーパーの
生花の加工の仕事を始める。全くの異業種ではあったが、20代の頃生花店でのアルバイトの経験もあり、生花が好きなことも
あって、精神的なハードルは低いように感じた。
その加工チームが困っていること、自分も含めたスタッフのミスなど
どうすればミスなく生産性をあげながら加工できるのか。
同僚の話を聞きながら、解決に焦点を当て、創意工夫を重ね、行動することで、
どんどん改善されていくのを見て、自分がやりたかったことはこれだったんだと気づく。
いちパート従業員の立場で特に会社からの指示や役割があったわけではないが、自主的にさせてもらっていた。
特に役割を持たされなくても、評価されなくても
ただただ仕事をすることがこんなに楽しいのかと、仕事に対するやりがいや、社会の一員として会社に貢献できている有用感のようなものも人生で初めて実感する。繁忙期や厳寒期は大変なこともあり、時に人間関係でぶつかることはあっても
仕事に行きたくないと思うことがなく、いつも出勤するのが楽しみだった。
これらの経験(自分の中で仕事上の成功体験)から
「仕事で困っている人たちの何か支援がしたい」
と国家資格キャリアコンサルタントの資格を取得、もっと相談者に貢献できる自分でありたいと心理学を学び、
心理カウンセラーの資格を取得、カウンセリングルームはじまりを立ち上げ、現在に至る。
長文になりましたが、
ここまで読んで下さりありがとうございます。どこかご自分と重なる部分はありましたか?
辛かったけれど、どの経験も自分を豊かにしてくれる大事な財産になっていると
実感できています。
生きててよかった、あの時、自分の人生を諦めなくてよかった。心からそう思います。
私が乗り越え、自己実現できたようにあなたにもできます。
あなたが、自分自身を諦めなければ、必ず乗り越えられます。
あなたはどうありたいですか?どうなったら幸せですか?
一緒に、自分にとっての幸せや楽しさを感じられる毎日を
スモールステップで作っていきましょう。